ある日、ふと気がついたことがあります。
それはいつの間にか、いつも誰かと自分を比べていた自分自身の存在。
私が目指していたものは、「 誰かにとっての理想像 」であり、本当の自分ではなかったということです。
自分らしく、自分軸で、と言葉ではなんとでも言えます。でも、本当に深い部分で自分自身のことが理解出来ていなかった。この気づきは、私にとってすごく重大なことでした。
私の場合は、良い母でいなければいけない。母なのだから、おしゃれをしてはいけない。堂々と贅沢をしてはいけないし、我慢しなければいけない。稼がなければいけない。
逆もある。コロナ禍で誰もが我慢している時代なのだから、身の丈に合った生活をしなければいけない。必要以上に稼いではいけないとか。
本当にそう?自分は本当に、その未来を望んでいるの?多分、違うと思います。
誰かにとっての幸せが、自分にとっての幸せであるとは限らない。
私はそんな当たり前のことが、すっぽりと頭の中から抜け落ちていた気がします。
誰かにとっての理想を追い求め続ける日々は、とてもしんどいものです。
それはきっと、ゴールのないマラソンをひたすら走るようなもの。
息切れするのを感じるのに、立ち止まれない。
だんだん、息切れしていることにも気付けなくなる。麻痺してしまう。
その間にメンタルも、ボディも疲弊してしまう。
長年蓄積された疲労感は、徐々に私たちの身体や心を蝕んでいきます。
そしてその蓄積は、早いうちに不可逆的な心身の老化にも繋がっていく。
誰かと一緒だからと安心していては、本当の意味での幸福や豊かさを手に入れられない時代にきているとも感じます。
あなたにとっての幸せはなんですか?

本当の自分が望んでいないもの、自分に合っていないものにはどうやっても辿り着くことができません。それは、人それぞれに生まれ持った適正や能力が違うから。
生まれてくる時に決めてきた、使命だってそれぞれ違います。
生まれてくる前から持ち合わせてきた魅力や要素の原石が、メディアや他人の情報の数々の擦り込みによって徐々に消えていってしまう。そして実は、全て自分自身で擦り込み続ける行動を選択している。
そうして構築された偽りの価値観や願いへ辿り着いたとしても、本当に望む未来ではないから永遠に満足できないのだと思います。
私もそうでした。
手に入れたいと思っていたものを手に入れたはずなのに、見たい景色が見れたはずなのに、どうしても満足できない。ここではないどこかを探す日々。心に生まれた深い違和感が、どうやっても拭えない。
人は、理想と現実の差に大きな苦しさを感じるもの。そして、自分の本当の思いには嘘がつき続けられないものなのだと思います。
誰でもない自分に嘘をつき続けると、いつしか大きな問題としてそれが生んだ現実をありありと見せられることになる。
自分への嘘は、深い部分での罪悪感や、ネガティブな思いにもつながっていく。
私もそんな違和感と現実の溝を埋めるために、多くの情報を求める日々を繰り返してきました。
丁度フリーランスでの仕事を始めた5−6年前のことです。何をやっても、自分自身に納得出来ない日々。幸せなはずなのに、どうしてこんなに違和感を感じるのだろう。
何年も私が探していたのは「ここではない、どこか。」
私は一体、何がしたいのだろう・・。いつの間にか、自分で自分がよく分からなくなっていました。
人や家族にも恵まれ、愛する子ども達がいる。家族もいる。家もある。車もある。
困ったこともないし、大きな悩みもない。
それなのに、いつも心の片隅に違和感がある。
私の中に生まれた嘘のつけない違和感が、いつしか大きな歪みを生んでいきました。大切なパートナーや、家族、ビジネスパートナーにも心ない言葉を投げかけ、良好な関係が保てなくなっていました。
満足できない心や違和感を感じつつも、楽に生きられる方、安定する方を選び続けた結果、大きな失敗と挫折感を味わうことになりました。
頂いた仕事に、精一杯取り組み続けよう。
そう心に決めて続けていた仕事も、徐々に気力が低下していきました。真剣に取り組もうと決めたのに、何故か上手くいかない。
私はとても幸せで、恵まれていたのだと思います。安定した幸せに浸り続ける中で、無意識のうちに、幸せの舵と責任を人に渡してしまったのかも知れません。きっと誰かが、幸せを構築してくれはず、守ってくれるはずと。
幸せの舵を誰かに託してしまったら、自分が望むゴールには永遠に辿り着くことができません。
ここではないどこかを探しながら私が無意識に目指していたのは、一般的な幸福と理想の女性像。
当時の私が目指していたのは、夫を支える良い母親であり、女性としての魅力やキャリアも備えた理想的な女性であること。
SNSのキラキラした投稿を見ては、程遠い自分の現実を知り悲しくなる日々。
憧れの彼女たちが持つ表面的な豊かさで自分を塗り固め、内側で生まれる苦しさを隠す日々。
知らぬ間に、誰かの評価に一喜一憂して、結局自分が何を目指していたのかも分からなくなる。
自分が自分でなくなっていく。そんな感覚でした。
本当の意味での自分を知らないから、前のめりになって挑戦し続けても、何かを変え続けても状況はあまり良くならない。とても苦しくて、自分に罰をつける日々。
できないことや理想の自分になれない苦しさを感じ、布団にくるまって何度も何度も涙しました。
もうどうにもならなくなった私が結果として選んだのは、全てを吹っ切ること。本当の意味での自由。
「もう疲れた。自分に嘘をつくのはやめよう。自分の思いに、蓋をするのは終わりにしよう。誰かではなく、自分自身にしっかりと向き合おう。自分自身を、もっともっと愛そう。」そう思ったのです。
無意識に掴み続けていた「誰かにとっての正解や常識」を手放す勇気を持った瞬間から、心が軽くなったような気がしています。

望む自分に、いつまで経っても辿り着けないことについて気づいたことがもう一つあります。
それは、自分が望む自分さえ「 未知 」だったから。
「 未知の領域 」にある自分自身の未来を、自分自身の今ある常識や知識の中から想像できるはずがありません。
どれだけ自分自身に向き合い、自分が望む未来を掘り起こし、怖がらずに開拓し続けられるかどうか。
私もこれまで人生の各ライフステージにおいて、自分の人生観や在り方について考えさせられることが多くありました。
出産・育児・子ども達の進級・進学など。
女性は特に、大切な家族のライフステージによって自分を変化させる必要がある。これからの女性は特に、変化へ対応する力が必要だと思います。そして、全ての女性はその力を持っているのだと思います。
パートナーがいたとしても、いなかったとしても。
自分自身の力でしっかりと立ち、自立する力が必要です。
自分らしく自立する力を育むには、まず自分にとっての本当の「 幸せ 」を知ることが大切です。
そしていつでも、目の前に現れたチャンスをすぐに掴めるように準備をしておくことだと思います。
そして幸福の種を掴んだなら、それを大切に育んでいくこと。続けること。
あなたにとっての本当の幸せ、本当に望んでいるのはどんな未来ですか?
今一度、考えてみると良いと思います。
最後までお読みくださり感謝いたします。
今日も、素晴らしい一日をお過ごしください。
愛を込めて。
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